あっ ウエルぱぱすがレニューアルされたぞ。詳しくはぱぱす紙面書評を!!


私は、このユニークなフリーペーパーにはまっている。毎月、第4水曜日のあたりに中日新聞の、折込として配布されており、これを見ることが、毎月の楽しみになっている。この発刊は、1998年4月創刊となっており、以後途絶えることなく、順調に送り出されている。ちなみに、初版は15500であり名古屋地区の52の中日新聞販売店から、新聞の折込としてデビューした。なお初版には、ウェルぱぱすを世に出すその意気込みが、一面に書かれている。以下にその燃える意気込みを全文引用しよう。

 オヤジ向けの新聞を作ろう」という話が出たのは、ほんの数カ月前だった。それも飲み屋の席で半ば冗談としての話だった。「OLや主婦向けのフリーペーパーは掃いて捨てるほどあるけど、オヤジ向けのはないようなぁ、どうしてだ」「オヤジ向けに作ったって広告が集まらないから成りたたないんだよ」「だいいちオヤジはフリーペーパーなんか読まないしなぁ」「今のオヤジには家庭の中でモノを買ったりする決定権がないんだよ。ただ給料を運んでくるだけなんだから」「だいたい居場所がないだろう」「オヤジをけなす企画は山ほどあっても、ほめるのはないよなぁ」「女性誌に「家事や育児を手伝うすてきなパパ」みたいなのがよく載っているだろう、あれもやだなぁ。

 別に家事や育児をやるのが悪いわけじゃないけど、妙に媚びているみたいだもんな」「オレなんか、二言目には「家の中でごろごろしていると今に粗大ごみとして出されちゃうわよ」なんて言われるんだぜ」愚痴は果てしなく続く。各人が確実に(酔っ払い仮面)とかしたころ。「そんなオヤジたちのための新聞を作ろみゃあ」「ああ、そだ、そだ」「んだ」最後はろれつが回らず、なにを言っているのかわからない。

 こうして「ウエルぱぱす」創刊が決まった。われわれが思い描くオヤジ像は、職場でも家庭でも居場所がなく、かといって思いきった行動に出ることなどは思いもよらないお父さんたちだ。要するに自分たちのことだ。そんな情けない、妙に親しみのもてるお父さんたちにエールを送りたい。「あんたはよく頑張っている。これまでも頑張ってきた。家族が楽しく暮らせるのもあんたのおかげなのだ。もっと回りが敬意を払ったっていいはずだ」と。そんな思いを紙面に出していきたい。お父さんは忙しくてゆっくり新聞や本を読んでいる暇もない。疲れた体に受け付けるのは、ただ漠然とみていられるテレビだけだ。それを「休みになるとパジャマ姿でごろごろしてテレビばかり見ている」「だらしない」「自分では何もできないくせに威張っている」などと言わないでくれ。当たっているところもあるけど、決してオレは威張りたいわけではないのだ。少しぐらい大目にみてくれよ。だいたい俺はハリウッド映画の主人公じゃないんだから。いつもカッコつけてばかりではいられないのだ。妻よ子よ、おとうさんに過大な期待を抱かないでほしい。オレはこれまでつつましくも、まっとうに、人に後ろ指を刺されないよう生きてきたんだから、そしてこれからも生きていくんだから、それが俺の人生なんだ。文句があるのか。

 時々「オレが働いているから」「オレが家族を食べさせてやってるんだ」なんて口から出ちゃうけど、心底をそう思っているわけじゃない。みんな一生懸命働いているんだよ。中には脱線したり、暴走したりしてしまうお父さんもいるけれど。それにもそれなりの理由があるんだよ、きっと。でも大多数のお父さんはつつましく、まっとうに、家族のことを考えて、今を一生懸命生きているのだ。

 そんなお父さんにわれわれはエールを送りたい、ささやかなエールを。時に辛口になるときもあるけれど、そのもやっぱり大事なんだよね。この新聞は「お父さんのための にゅーすぺいぱあ」なんてサブタイトルがついているけど、別にお父さんだけを対象にしているわけではない。いや、むしろOLや主婦の皆さんにも読んでもらいたい、と思っている。お父さんはけっして一人で生きているわけではないのだから。かくしてウエルぱぱすは誕生した。きっかけは酒場のよた話だったが、それが本紙にはむしろふさわしい。

 酔っ払いお父さん同様、よたよたと千鳥足で、ときに電柱に頭をぶつけながらも、われわれは前
進みたい。

  なんと泣かせる出版理由ではないか。私もオヤジである。そして、ここに書かれているオヤジの実態は、まさに私そのものだ。私はこの新聞にしっかり感情移入して何度も読み返している。読んでいると楽しい。時に心が癒され、また、ときに「そーなんだよ」とひざをたたく。このフリーぺーパーは息長く続けて欲しい。編集部の皆さんがんばってください。わたしも「I Love Well Papas」の中で影ながら応援させてもらいます

ウエルぱぱすのここがおもしろい

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その1

対談〜ウエルぱぱすは時々対談をやる。たいていは見開き2ページくらいにわたって為されるわけだが、テーマがとても面白い。

第1弾は4人の現役教師によるいいたい放題である。もちろん、教師はみんな匿名。そこんところがなんか怪しくてウエルぱぱす風でよいのだ。テーマは「オレたちは、こんな親や生徒が大キライだ ついでにこんな教師もキライだ。」 聖職意識過剰民主的プチブル存在の教師も本音を出せばここまで言っちゃう。近頃淫行などでお縄になる教師がいて聖職者のイメージもかなり地におちているが、そんなことはお構いなしに出るわ出るわ。むしろ痛快な気持ちになるね。読んでない人はぜひバックナンバーをあたろう。1999年3月(第12号)

第2弾はオヤジのたわごと「男女平等はいかにして実現されるか」 スタイルは第1段と同じ。怪しいオヤジの匿名出演だ。いまどきオヤジは女、子供から臭いダサいエロいと馬鹿にされるが、その反撃が男女の交代制である。風俗の交代制のあたりは笑える。いつしか下ねたに繋がっていくあたりがウエルぱぱすの確固たるポジションを守っていてうれしい。1999年6月(第15号)

第3弾はオヤジに対抗しておば様方の登場である。テーマは「男を自立させるには」タイトルには、おババのい〜たいほ〜だい座談会とある。内容はなにやら先回の対談である、「男女平等はいかにして実現されるか」を刺身のつまに言いたい放題わめいている。ひいきめに見ても先回の対談のおもしろさには及ばない。おふざけとアナーキー性が薄くなぜかまじめだ。まあ、幼稚園ぐらいから女の子はまじめで、中学校なんかでもトロイ男を尻目に生徒会とか各種行事を仕切ってきた性分からしょうがない事だろう。しかし、彼女たちからは、ノーパン喫茶もイメージ系ファッションマッサーもはてまた、板に○アナがあいていて、そこに息子を突っ込む即物的快楽産業といった、あほで、アナーキーなイマジネーションはなかろう。(しかしこーゆーところで男は自分の「自立」を実感するのだがな。)おっとッとッと、これもまたセクハラだと、糾弾されるな。1999年7月号(16号)

第4弾は、真夏の夜の夢 「ワタシの怖いもの」1999年8月(17号)。まあ夏ということで、レイアウトは怪談ばなしという形をとっているが、イラストになぜか奥様の顔である。しかも一番怖いのはゾンビになったかみさんとか、けんかした後かみさんから、「はい、砒素入りごはん」などといわれた、とか、浮気した亭主に対する仕返しとして、「離婚せず毎日いじめぬいてやる」といわれたなどの発言から、やっぱり親父が一番怖がるのは女房ということになる、あたりがウェルパパスの真骨頂である。

第5弾はまたまたおババの登場。今回は「セクハラって何?」である。確かにオヤジはセクハラの槍玉に挙げられるのである。しかし、この対談を見ていると結局最後の結論はデカプリオなら何されてもいい、ということなんだな。これこそ女の究極のセックシャリティーなんだよ。しかし、このおばばたちにはまいった。1999年12月(第21号)

第6弾は、「脱線転覆オヤジ座談会」と銘打って、「買ってはいけない」がテーマとなった。もちろんこれは「週間金曜日」の例の連載シリーズからぱくったものだが、もちろん本家のまじめさや科学性など微塵も感じられない所がよい。この座談会、きっとみんな酒が入っているね。焼肉なんか食いながらやったんじゃないか。最後のおちである、「訪問販売で妻が買うコンドーム。それも山盛りいっぱい」。というのが笑える。2000年3月(24号)

第7弾は、「オヤジと教師のでこぼこ座談会」がテーマだ。2000年5月(26号)ということから緊急座談会が設定されたようだ。というのもこの時期、名古屋の緑区扇台中学校で全国を仰天させた「5000万かつあげ事件」が起こったからだ。名古屋を拠点とするウェルパパスとしてはこれをほっとくわけには行かないということで、急遽教師やオヤジを集め座談会を設定したわけだ。ところがここに出てきた、教師とかオヤジがおふざけの塊のようなやつらであった。聖職意識とか、みんしゅ的発想など微塵もない論理でもって喋っている。こうゆうキャラクターのオヤジをどこから集めてくるのかウェルパパスの7不思議のひとつである。いつかこの点も解明していきたいものだ。しかし、マスコミもぜったい持たない視点、つまり「こんなワルガキを抱えて扇台中学の先生たいへんですね。まあ、しっかり休養をとってね」とでも言ってしまいそうな雰囲気がとてもよろしい。


第8弾は、見開き2ページの超特大。オヤジパワーの復権ととばかりに「SUPER おやじ座談会」と立体文字でデザインされている。しかしながらテーマは「懐かしのあの映画、この作品」でありまして、しかも、写真には「キングコング対ゴジラ」や「大怪獣ガメラ」、「若大将シリーズ」、「2001年宇宙の旅」(しかし、もう2001年だが木星なんか行けやしないし、あんな宇宙ステーションもないぞ、どうするキューブリック、答えろクラーク)なんかがちりばめてある。しかし最後には日活ロマンポルノ「未亡人下宿」があげられているところまさにウエルぱぱす王道を行くの感あり。たいへんよろしい。2000年9月(30号)

第9弾は、第8段が好評だったようで「スーパーおやじ座談会 Part2」ということで今度は「覆面、手裏剣、おもちゃのピストル−テレビは生活の中心だった」が題名である。彼らは今のテレビがちっともおもしろくないことを嘆く。家の中にあってテレビはいまや確かにあまりえらい存在ではない。まあ、せいぜいゲームのための画面提供箱みたいになっちゃった。しかしぃー われわれおやじがぁー 少年であったころぉー テレビはぁー ベトナムのぉーえぐい銃殺シーンやぁー 早稲田大学、安田講堂、成田三里塚闘争のぉー 大事な情報源となっていた。とはいえ、ウエルぱぱすでは、「月光仮面」、「ナショナルキッド」、「実写版鉄人28号、アトム」などのテレビ番組のノスタルジックに浸りまくる。これまたたいへんよろしい。2000年10月(31号)


第10弾は、「SUPER おやじ座談会」「おやじの秘密」(ミレニアムスペシャル)なのだ。1ページと今回はパワーダウンしている。内容もフツーのおやじの秘密ということで、どーしょーもないものばかりだ。不倫などが出てくるが、多くを語らない。この対談に出てきたおやじたちは、まああまり女の子にはもてない面々なんだろう。「くそーあのおやじめ、金に物言わせてうまいことやりやがって、でもいいなぁおれも、、、」といったねたみが見え隠れしていかにもフツーのおやじたちなのだ。きっともてるおやじがひとりでもいたら。ねたみと、「俺にも紹介しろ」といったおこぼれちょうだい的会話に終始してしまうだろう。女の子には絶対もてないおやじが紙面を占める。これこそ、ウエルぱぱすのあるべき姿なのだ。2001年1月(第34号)20世紀最後の対談。


第11弾は、「オヤジの子育て座談会」 「はたして、子育てにおやじは必要か?」なのだ。この不景気の中おやじたちは元気がない。その影響は、子育てにも出てきている。まあ昔のおやじは地震雷火事おやじというぐらいで、怖い代名詞となっていた。それがいまやどうだ、完全にその怖いイメージはなくなっている。しかし本当にそうだろうか?結構わがままなやつとか、女好き、お宅、マザコン、子供虐待おやじとかいる。まあ一応この新聞は、おやじのための新聞なので、おやじに自信を持たせようと話をもっていくが、どうも内容が脱線していく。つまりは、自分の好きに生きればよい、ということだが、そうもいかないのが今のおやじたちだ。この対談は、今までの対談に比べとてもまじめである。「ちょっと怪しい新聞」という当初のイメージから、75万部という化け物フリーペーパーとなってしまったのでこの怪しさとか、アナーキー性というのが薄れてきたように思う。この対談であれば、権威失墜にあせるおやじがとんでもない事件や悪さをやってしまうなどのとても危ない内容などを語ってほしかった。あるいはおやじの地位低下によるストレスのこととか、その解消のための、とても変わった趣味(女装、歴史に残る裏本集め)、性癖(何でも拾ってきちゃう癖、各種フェチ)など一ひねりあるおやじの生態学が出てくると面白かったのにと思う。最後のげろ話はいただけない。きっとまじめで優秀なスタッフが下品な文章を書こうとして無理をしたのではないか。こういう文章は根本的にお下劣な人間が書かんとわざとらしくなってしまう。


第12弾は、「最近こまったこと」である。(第38号)おやじたちのつぶやきが始まる。不景気による、小遣い減少。若い女のオヤジいじめ。職場でのオヤジのポジション低下。そして最後はあの悪名高き「愛知万博」に対する爆発だ。おやじたちはどーせやるんならもっと儲かっておもしろいやつをやれと毒づく。私もこの意見には大賛成である。愛知万博は、絶対に儲けることのできない無能セールスマン風の有象無象の輩と、おそらく史上最低の低脳エコロジストの井戸端会議的、談合で計画が進められている。またこの井戸端会議を仕切るのは、年のわりにやたら派手なブランド物を身に付けた中京女子大学の妖怪、谷岡オバンである。それにまったくやる気のない地方官僚が関わるという史上最悪の実行メンバー構成となっている。商魂長けたトヨタは堺屋太一をカンフル剤としてこの無能集団にぶつけてきたが、そもそも、堺屋じたいがまったくやる気がなかった。完璧に愛知をバカにしきっているこのジジイは、むちゃくちゃな構想(しかし今までよりはちょっとまし)をぶち上げてこれが通らねば、やめるなどともう敵前逃亡の体制だ。おわっとるね完璧に。新聞やテレビを見ていると実行委員のトロクサイ間抜け面が、なんかごちゃごちゃいっとるようで、とにかくこいつらがなんか言うたびに、愛知万博は終わったと言う確信をわれわれに持たせるのだ。ボッチャン知事、神田君はいつもぶつぶつゆっとるようだが何をどうしたいのかまったくわからない。今ならまだ間に合う。例え国際的に大恥をかこうと、この不景気でひいひい言って税金はらっとるわれわれはあえて恥をしのぎ、万博の返上を受け入れよう。とにかく万博はお金勘定の立場からすれば死に体のゼネコンの延命処置にすぎないのだから。

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その2
ウェルパパススクラップブック

 ウエルぱぱすには、短編シリーズがある。たとえば、1998年4月(創刊号) 「お父さんのための 役に立たない パソコン講座」などである。しかしこのシリーズは、vol1「パソコン恐るに足らず」、vol2「オタクのすすめ」で断ち切れている。確かに内容がちょっとばかりまじめでおやじの悲哀とか助平さなどが出てこない。それに今のおやじ世代は、プラモデルとか鉄道模型とかモデルガンとかにはまったやつも多い。しかし、おもしろいのは、はまる対象そのものというよりも、そういうものにええ歳こいてこそこそ背を丸め、ガキや女房に馬鹿にされながらもそーゆー趣味にはまっていくおやじの生態学にこそウェルパパスが注目する必要があったのだ。ところがやっぱりというか、案の定その手のシリーズが始まった。そのシリーズこそ「おやじのB級ホビー宣言」である。これは、1999年9月(18号)の「私が「ラジコンエンジンカー」にハマったわけ」 姿 一平氏より始まった。この企画は受けているようで今も続いている。このシリーズ第1段のラジコンエンジンおやじの話は、「次はどういう展開になるのかなぁー」と思っているとそそくさと終わってしまうのである。そして次は、今流行りの、ペット編へとバトンタッチである。この変わり身の早さが、これまたウエルぱぱすらしくて面白い。ところで最初の姿一平のシリーズはウェルぱぱすが、愛知県全県展開する前の有料時代のものであって、この記事を知る人は今ほど多くない。そこで、このシリーズの全文を以下に載せてみよう。一気に読んでみるとこれも結構おもしろい。

 第1回 オヤジのB級ホビー宣言 1999年9月(第18号)
私が「ラジコンエンジンカー」にハマったわけ
 
 第2回 1999年10月(第19号)
オヤジのホビーは山あり谷あり
 

 第3回 1999年11月(第20号)
「あららら〜〜らぁー」
 第4回  1999年12月(第21号)
おこづかい値上げ闘争
 
 第5回 2000年1月(22号)
サーキットデビュー でも、ちょっとヘン
 
 最終回 2000年2月(第23号)
B級ホビーで感じるオヤジの小さな幸せ


B級ホビーペット編
  この記事の全文はこちらへ!
 B級ホビーの第2弾は「ペット」を取り上げた。ペットは今大ブレイクしている。テレビでも「今日のワンコ」とか「ポチタマ」とかペット特集が毎週組まれている。私も先日、ドッグショーを金城埠頭まで見に行ったが、たいして大きく宣伝しているわけではなかったが、ギャラリーで大変にぎわっていた。ドッグショーはプロの大会なのでかなりペットお宅の人が集まっていたがその状況はラジコンお宅と合い通ずるものがあった。御多分にもれずペットグッヅが所狭しと並べられ、そこで自慢の犬のトリミングや手入れをやっていた。あたかもボクシングに出るボクサーのマッサージをするがごとく犬を磨き上げている。そして、そこにいる人たちは、ラジコン編で出ていた、異型タイプのおやじやおばさんで埋め尽くされていたのだ。みょうに太い人、がりがりの人、ちっこい人、変わったおばさん、変な趣味の服を着たブリーダー、それにオカマもおった。会場は、人いきれと、犬の体臭と糞尿がごちゃ混ぜになった絵にも言われぬ独特なムードがあった。これもなかなか面白く奥の深い世界である。この辺を押さえてペットを出すところがウエルパパスの面白いところだ。しかしこのペット編は2001年1月(第34号)で最終回となった。著者の犬飼次郎さんは役に立つペット情報を流しつつ、ペットにまつわる家族風景を面白おかしく軽妙なタッチで書き綴っている。ペットの話というとどうしてもおらが犬自慢になるがそんなことは微塵もなく、「あるある、そうなんだよ」といった内容が満タンである。この記事を読んでペットを飼おうかと思った人も結構いるのではないか。この記事の全文はこちらへ!


B級ホビー テレマークスキー編
 あ〜楽しみにしていたB級ホビー、次は何が出るのだろー?と楽しみにしていたら、「山」ですよ「山系」。山好きの人にはたまらんでしょうが、私は「山」は嫌いです。なぜかというと、若いころ、学生時代にワンダーフォーゲル部にいた友人に誘われるままに、白馬山系にピクニックに行ったのですよ。「ちょっとしたピクニックさ」という軽い誘いについ乗っていってしまったのです。ところがこのピクニックで目も当てれないほどの地獄の苦しみが待っていたのです。とにかく斜面をあがり続けるわけですから、なれない私にとっては苦痛以外の何モノでもなかった。しかもあごを上げている私にかの友人は「この苦しみがあってこそ、頂上に到着したときの快感は格別である、さあガンバロー」てなもんです。それでも弱音を吐いていると、あたかもオレはお前より体力と精神力と胆力が上であるといわんばかりにいばっちゃってるわけ。まあ何ですかね、スキーでも初心者を頂上までだまして連れて行き「さー付いて来い」「転がりながら滑っていけばすぐにうまくなる」といってサディステックにいじめるあれですよ。この手荒い洗礼を受けてスキーを2度とやらない人もいるはず。とにかく「山系」は好きになれない。
 それになぜか皇室の方々もレジャーといえば山登り。どうやら自然に触れるこの趣味は皇室好みのピュアなイメージがあるらしい。雅子様も皇太子に連れられハイキングに行っているようですが、私が思うに雅子様は元を正せば都会派のちゃきちゃきキャリアウーマン。日焼けして汗臭い、しかも2〜3日風呂に入らないこともある山登りなどお好きでないように思う。それに雅子様はアトピーだし、アトピーは紫外線に弱いのだ。だから紫外線の強い山頂は皮膚には決して良くないと思う。しかしかいがいしくも雅子様は「殿下から自然のすばらしさ、厳しさ、雄大さを教えていただきとても感動しました」等とおっしゃっていた。雅子様はとても忍耐強くえらい人だ。私なら、「けっ、山登なんて、要するに3Kじゃねーか。2日も風呂に入らなきゃパンツが臭くなる。あーいやだいやだ」と言ってしまうな。だから山をすばらしいと語る人はどうも私は合わない。
 とりわけ、レジャーゲレンデスキーではなく、著者、山森雪男さんの言うところのテレマークスキーなどと言うホビーになると二の足を踏む。レジャースキーは私の大嫌いな斜面登りはない。すべて、高速リフトやゴンドラで運んでくれる。それにいまやスキー板もカービングとかあるし、靴だってジャストフィットの靴があるのだ。だから、テレマークスキー愛好者である著者はレジャースキーを楽しむ一般大衆を何か下に見下すおごりというか、お高くとまった雰囲気をどうしても感じてしまっていけません。
 で、第2回を見てみるとやはり、なんかこう講釈を垂れているのね。それに「しょせん、B級ホビーだ」と言う著者の口調も「B級なるもの」をこよなく愛していると言う感じには受け取れない。ようするに本人はB級とは全然思っていないのだ。それに、第1回で著者が文末で述べている、「そう「B級ホビー」なんぞバカじゃなきゃやってられない」。と自嘲しているが、これがとてもうそ臭い。自分を「バカだ」と公言してはばからないやつに「自分をバカだ」と思っているやつはいないのだ。
 ウェルパパスよ、初版155000部の頃のスタッフは「文化人」の臭いはあんまりしんかったが、750000部と言うバケノモフリーペーパーになってくるとやっぱり「文化人」が蝿のように集って来るのね。一度「文化人パージ」をやったらどうじゃろか。

 第3回はスキー板に対する記事だ。結論を言うと、「現代の高性能スキーグッヅはいかん。道具に操られることになるからだ。オヤジは道具を操る立場であるべきだ」というもの。ついに教育的、道徳的、価値付けが自分のホビーになされ始めた。B級を装うA級ノーブル思想が発露してきた。そもそも一般大衆が求めるものとは、高性能スキーグッヅによって、たいした運動神経や、若年からのスキー経験といった、上流文化資本がなくても、ソコソコかっこよく滑れることであろう。楽してかっこう良くスキーができる。そーゆー思想にこそB級の真髄があると思うのだ。だからこの手の記事はむしろ『「ざーます」ホビーのすすめ』といった紙面で展開した方が逆に面白いのではないか。「お上品なホビーのすすめ」でもいいぞ。
追伸:テレマークスキーは6月号をもって最終回となりました。

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ウエルぱぱすの知性

 ウエルぱぱすは、そこかしこに知性的な記事が配置されている。たとえば、書籍の紹介など、朝日新聞の日曜日の本の紹介よりも数段ユニークで面白い。朝日新聞のやつは、とにかく内容がお高くとまっている。いかにも、東京の山の手知識人が書いているようで、鼻持ちならない。こいつら何とかならんのか。東京系の知的活動というのは知性をどうしょうもない糞にする。「ハイハイわかりましたよ。内容はさっぱりですが、あんたら賢いということはよーくわかりました。」とにかくおもしろくもなんともない。
 よく、本屋なんかで朝日新聞の本の紹介の記事が、クリップなんかで綴じられて、その下にその本が平積みされているが、俺はこれを見ると「東京系中心文化に迎合するな」と腹が立ちその紙を引っこ抜いてしまう。そんなことするよりも、ウエルぱぱすの「こんな本見つけた」をB誌サイズに拡大コピーして壁にはっときゃいいんだ。というわけで、以下にウエルぱぱすの知性を特集したい。

「こんな本見つけた」


 「こんな本見つけた」〜盛田武史によって始められた記事だが、原型は1998年10月(第7号)の「お父さんのための一冊」(敬さん)にはじまる。そして、盛田武史による記事は1999年3月(第12号)より始まるのだ。第1冊目はなんと「反オリンピック宣言」ではないか。われわれ自由スポーツ研究所が最初に出版したあの幻の本である。この本に目をつけるあたりが盛田氏の知性を感じる。いやさらにこの人に書かせる、ウエルぱぱすの地域出版文化を支える気概に心打たれる。この本を出してくれて本当にありがとう!あなたたちは偉い。朝日新聞の文化部門デスクよりもはるかにえらい!以下に彼が選び出した本を記してみよう。

1999年3月(第12号)
「反オリンピック宣言」 その神話と犯罪性をつく 水田洋ほか編者(風媒社)  
 わが研究所、初の出版物。処女作である。水田洋先生の紹介により風媒社の稲垣さんより快諾を受け製作された。全てに全力をつくし、実践と理論をまじえ完成させた。内容は、名古屋オリンピック反対を基本に置いているが、オリンピックそのもの、あるいはスポーツそのものまでも分析と批判の対象としている。また、この時点で、お祭り型公共投資、言い換えれば、バブル経済狂宴の矛盾を鋭く突いている。バブルの起こる8年も前である。盛田氏も指摘しているとおり、未だに現在に通用する内容であることは疑いのない所だ。
さらに詳しくは、ここへ

1999年4月(13号)
「空間の祝杯−七ツ寺共同スタジオとその同時代史−」 (七ツ寺演劇情報センター発行、あるむ発売)
 七つ寺は、私にとっても思い出深いところだ。まず、高校時代の友人が演劇部にいて、ここでの演劇活動にはまっていてよく話を聞かされた。しかし最も記憶に残っているのは、名古屋オリンピック反対運動のあのときだ。サマランチが、次は「ソウル」と発表したまさにその時、私は七つ寺にいた。ここは、反対運動の面々が集まって、IOCの結果を聞いた場所であった。だいたい、マスコミは名古屋に来るに決まっているとたかをくくっていたので、この七つ寺には、ほとんどおらんかった。ところが「ソウル」である。マスコミの連中は大挙して七つ寺にやってきた。だいたいマスコミというのは大局の読みというものが見事にいいかげんであるということを知った。その伝統は今も引き継いでいるが。ところでこのときの反対運動の各グループは2つの反応を示した。1つは、「やったぁ 勝ったぞ」というもの。この反応はだいたい自営とか、変り種企業のオヤジとか、本山商店街の人たちとかが示した反応だ。とにかく来させないことそのものを目的とした人々だ。2つ目はいわゆる全共闘世代のおやじたちとか市民運動家といった人たちだ。この人たちは、名古屋にオリンピックがきてそのための反対運動を続けていくというビジョンを持っていた。いわば反対運動そのものを目的とした人々だ。だからこの人たちは「ソウル」になったとき、「ぽかん」としていた。まあ、当てが外れたといったところか。ようするに、反対運動という市民運動が終息してしまうわけね。それはやっぱり寂しいと。だから本当は大いに喜べばよいのだがこの人たちは首をうなだれて帰っていった。後は、どうしてわれわれが勝ったのかの総括である。確か反対の市民運動がジョブとなったとか、バーデンバーデンのIOC総会まで乗り込んでいってデモったのがよかったとか、市民運動も力をつけたのだとかいった事が言われたと思う。しかし今になってみればそんなことはあまり関係がなかった。要するに韓国のIOCメンバーに対する、実弾攻撃(賄賂)、接待攻撃、女攻撃が功を奏していたのだ。韓国はしたたかであった。そして名古屋当局はやっぱり、田舎のゴンジョであったのだ。その後、2000年のIOC内部批判が出るまで、この組織はどんどん腐っていった。そして今も腐りつつあるが。その後日本はバブルを突き進むのだが、この市民運動によって名古屋は草の根市民運動の基盤を創ったことも確かだ。
 われわれ自由すぽーつ研究所のメンバーはどうかというと、名古屋オリンピック以後ちょくちょく市民運動には顔を出していた。しかし、嵐の去った後、それぞれの研究フィールドに戻りどっしりと腰を落ち着けて、研究に、実践にとマルチに活動していったのである。

1999年5月(第14号)
「だめ!」 (だめ連編、河出書房新社発行、)
 

1999年6月(第15号)
「もてない男」 小谷野 敦 (ちくま新書)

1999年7月(第16号)
「小太りのすすめ」 冨家 孝(ダイヤモンド社)

1999年8月(第17号)
「ハゲを生きる」 須長史生 (勁草書房)

1999年9月(第18号)
「買っては行けない」「週間金曜日」 (週間金曜日ブックレット2)

1999年10月(第19号)
「日本人のしつけは衰退したか」 広田照幸 (講談社現代新書)

1999年11月(第20号)
「あのお金で何が買えたか」 村上龍 (小学館)

1999年12月(第21号)
「離婚という選択」 LIZ編集部 (キルタイムコミュニケーション)

2000年1月(第22号)
「バトル、ロワイアル」 高見広春 (太田出版)
 盛田氏のこの記事の1年後、こいつは映画化され話題を振りまいた。またぞろ国会議員とかが正義者ぶって映倫に圧力をかけて、R指定になったようだ。だいたいゾンビの塊みたいなこいつらにそんなこといえる資格があるのか?
 ところで、盛田氏は金八先生のパロディがベースだとおっしゃっていたが、これに関しては少し補完をしておきたい。まずこの小説はエイリアンのパクリがある。p103の「彼、桐島和雄が今、沼井充を含めた四つの死体を前に良心の呵責だとか、哀惜だとか、同情だとか、それらの感情の何一つ、感じているわけではなく、、、」のくだりは、エイリアンではロボットの「アッシュ」がエイリアンを礼賛するせりふのまんまである。また、密閉された空間で、決められた時間に課題をクリアしていく構成もエイリアンである。さらにお互いが疑心暗鬼になっていくところは「遊星からの物体X」ジョン、カーペンター版のパクリでもある。それにゾンビ(一番の親友に殺される)やターミネーター(桐島の不死身さ)、13日の金曜日(光子の鉞)、サスペリア(飛び散る鮮血)なんかがいっぱい出てくるのだ。しかし、この小説がおもしろいのは、中学生の生徒が残酷にやっちゃうという所だ。パクリ元はこういうことをやれるのは人間ではなくモンスターであるという点に「キリスト教的倫理観」がはたらいているがバトルはそーゆー規制がない。そーゆー点では「スティーブン、キング」に近いかもしれない。それに日本の石原プロ系刑事物を見事にやっつけている。つまり、犯人が「う、う、動くな撃つぞ」とためらっている間になぜか刑事さんに隙をつかれ、取り押さえられてしまう。あの、はじき(GUN)の時代にあって、刀のアナログ的感覚のもどかしさを吹っ飛ばす。要するに、何十ページもかけて描写した登場人物をあっけなく消してしまう潔さ。その辺にこの小説のスピード感があるのだ。それに、この小説は盛田氏も指摘しているように新しい波が起きている。つまり、教育とか、倫理観とかの分水嶺を(そこまでやるか?といったこと)、すなわち今まで守られていた倫理パラダイムを突破している、「突破者」小説であるということだ。今じゃ深作監督の映画化と世間の反響で超有名になったが、盛田氏はその1年も前にその予言をしている点がすごい!
 なお映画については、「映画の散歩道」2001年1月(第34号) さくらさんによって紹介されている。私も見たが、やはり2時間で42人殺すには無理があった。画面のスピード感はあったが、しかしそれは原作のおもしろいところをたくさん盛り込もうとした結果、早送りでストーリーを流したという感じである。なお、深作監督はこの物語にはヒューマニズムが溢れているなどといっていたが、とんでもない。このじいさん、世間の評価を当然ながら予想し、おちょくっている。プロダクションノートなど読んでいるとこのじいさん「こりゃ殺しがいがある」などと言いながら本人はかなり盛り上がってやっていたそうだ。まったく困ったじいさんである。以下プロダクションノートの抜粋である。
 バトル1 壮絶バトル?70才の老人vs中学生42人>
監督は撮影中、猛暑の7月3日に70才の誕生日を迎えた。その監督が、去年の10月から半年以上の期間を費やし、800人以上のオーディション候補者の中から選び抜いたのが、今回の3年B組キャスト精鋭42人。「こりゃ殺し甲斐がある」と息まく監督相手に、生徒達もよく応え、連日連夜、壮絶なバトルが展開される。監督のオーディションの選考基準は「ピラニア軍団(かつて東映ヤクザ映画を支えた川谷拓三ら若手俳優達)みたいのいないのか?」でしたが、はたして新世紀の深作組キャスト42人は、ピラニア軍団を越えるのか?



2000年2月(23号)
「子別れレッスン」 斎藤学 久田恵 (学陽書房)

2000年3月(24号)
「よしえサン」 須賀原洋行 (講談社)

2000年4月(25号)
「警察官の「世間」」 久保博司 (宝島新書)

2000年5月(26号)
「娘がいやがる間違いだらけの父親の愛」 岩月謙司 (講談社)

2000年6月(第27号)
環境にやさしい生活をするために「リサイクル」してはいけない」 武田邦彦 (青春出版社)

2000年7月(第28号)
「うれしなつかし修学旅行−国民的行事に若者はどう参加したか−」 速水 栄 (ネスコ)

2000年8月(第29号)
「「健康」という病」 米山公啓 (集英社新書)

2000年9月(第30号)
「たのしい不便−大量消費社会を考える−」 福岡賢正 (南方新社)

2000年10月(第31号)
「悪臭学−人体編−」 鈴木隆 (イースト・プレス)

2000年11月(第32号)
「「ひとを<嫌う>ということ」 (角川書店)

2000年12月(第33号)
「かくて日本人は餓死する」 野坂昭如 (PHP研究所)

2001年1月(第34号)
「豆炭とパソコン」 糸井重里(世界文化社)

2001年2月(第35号)
「ついていく父親」 芦沢俊介(新潮社)

2001年3月(第36号)
「IT革命? そんなものはない」 柳沢賢一郎+東谷暁(洋泉社)
 アメリカのITバブルがついにはじけた。このことは、2年ぐらい前から予想されていた。ネットビジネスとかいろいろやったようだが、何せクレームの国。店員と顧客の1対一が基本の販売活動をバーチャルなネット上でやろうとしたところに無理があった。それに、さまざまな情報をネット上でやり取りすると言うのも確かに便利にはなるが、「情報なるもの」の本質を考えれば限界は見えてくる。つまりほんとに必要な情報とか、金になる情報はネットには流れないのだ。それにコミュニケーションは結局人間がやるのだから、五感が電子化されるとそれはセカンダリーなものになる。大事なことは直接会って決定するという形は変えれないだろう。たとえばリストラ宣告をメールでやるだろうか?やっぱり直接会って宣言するでしょう。またメールなんかでそんなことをする会社はろくでなしの会社です。
 しかし笑えるのは国会議員だ。IT関連法案とか何とか言っているようだが、いまじゃそんなのを作って何とかなるという時代じゃない。もともと土建屋議員だ。土建屋ならそれらしく土建関係の不良債権を何とかすることだ。今の不況は銀行やその他ゼネコンなどが抱えている不良債権が原因だ。そしてこの不良債権を出したのはバブルの頃の経済政策にあった。そこでうまい汁を吸っていた議員たちが、IT,ITなどと言っている。自分たちが責任を負い、何とか落とし前をつけるということを一切やらず、聞こえの良い言葉で煙に巻いている。
 しかしわれわれ一般国民も十分気をつけたほうがいい。今政府が狙っているのは、われわれの貯金通帳だ。あるいは、たんす預金だ。いかににこれを掠め取るか?これが今の政府の考えだ。いや謀略ともいえよう。「国民の皆様にも痛みや負担をそれ相応に受けてもらう。」とか何とか言っちゃって増税をもくろんでいる。政策の失敗を国民になすりつける。これだけはやらせちゃいかんな。高級官僚も悪いやつが多い。学校でいうとテストの点は良いが根性悪の人でなし。というタイプ。強いものには弱く、弱いものには強く、自分にはやさしく、他人には厳しく。といったことを生きるための信条にしているようなやつらだ。こいつらに取り付く女房もガキも似たようなもんだ。こいつらは正直者がバカを見るようにしようしようと常日頃考えていると思って間違いないだろう。


2001年4月(第37号)
『痛快「捨てない!」技術』 町田忍(岳陽社)

2001年5月(第38号)
「ここまできて それなりに わかったこと」 五味太郎(講談社)


2001年6月(第39号)
「迷いの体」 石井政之(三輪書店)


2001年7月(第40号)
「男を抱くということ」 斎藤綾子 南智子 亀山早苗(飛鳥新社)
 この記事はとても好評だったらしい。特に女性から。もちろん、オヤジにもうけたのは当然であるが。女の性に対する本音がセキダラに書き綴ってあるらしい。夫婦間での夜の対話。結構、他人様には言えないやり取りがあるのは、想像できる。もちろん、夫婦間でも何らかの遠慮もあるだろう。もっと卑猥になって快楽を貪りつきたい。でも終わってみると、結構これがあっさりしちゃうのね。つまりは「性の外言」にたいする「性の内言」ね。ひょっとすると、妻はあの時オレではなく他の男の顔を思い浮かべながら、やっているかもしれない。」・・・だってぇオレもやったことあるもんそれ。しかし、亀山と言う著者名きっとペンネームだろうけど、すきなんだろうねぇ。

2001年8月(第41号)
「チリ交列伝」 伊藤昭久(論創社)


2001年9月(第42号)
「大倒産」 熊谷勝行(東洋経済新聞社)


2001年10月(第43号)
「ホームレス作家」 松井計(幻冬社)


2001年11月(第44号)
「完全無敵の老人学」 和田秀樹 大月隆寛(講談社)


2001年12月(第45号)
「フロン−結婚生活・19の絶対法則−」  岡田斗司夫(海拓社)


2002年1月(第46号)
「失われた手仕事の思想」  塩野米松(草思社)


2002年2月(第47号)
「月光仮面の経済学」−さらば無責任社会よ−  金子 勝(NHK出版)


2002年2月(第48号)
「クルマを捨てて歩く!」 杉田聡(講談社+α新書)


2002年3月(第49号)
「文章読本さん江」 斎藤美奈子(筑摩書房)


2002年8月(第53号)
「あなたはどれだけ待てますか」 ロバート・レヴィーン(草思社)


2002年11月(第56号)
「からくり民主主義」 高橋秀美(草思社)
 この記事をとても楽しみにしているのだが、なぜか時々飛ばされてしまう。思うに盛田氏はとても多くの本を読んでいるようで、選ばれる本が、とても面白く、それでいて一癖もふた癖もあるものが多い。ここで紹介される本はどうしてもいつかは読んでみたくなるものばかりだ。コメントもどこぞの映画紹介よりはよっぽどウイットがあり、物事に対するぞうしの深さをうかがわせる。なるべく続けるようにして欲しいものだ。


2003年2月(59号)
「ひきこもれーひとりの時間をもつということ」 吉本隆明(大和書房)
 ついに出ました、日本思想界のドン、吉本りゅーめー、ばななじゃないよ!このおじさん一度死にそうになったそうで、その後は、代筆で物書きを続けているらしい。しかし、それでも立派な本になるのだからすごい。盛田氏も「あれれ」と感じられる部分もあるとの鋭い指摘を怠らない。吉本はかつて、「原発と核問題はまったく次元の違うことだ」などと大間違いをしたことがあったけど、今の北朝鮮の核開発に対してどういうコメントを出すのか知りたいところだ。


20034月(61号)
「戦争中毒ーアメリカが軍国主義を抜け出せない本当の理由」
 ジョエル・アンドレアス(合同出版)
 タイムリーだ!ぱぱすで時事が真剣に語られるのはここぐらいのものだ。バクダットも陥落しちゃったし、この本はよんどかなきゃいかんな。

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東海異人伝   ウェルパパス〜人との出会い

 ウエルぱぱすは、東海地区で様々な活躍をしている人を取材し、紹介している。けっこう隠れたすばらしい人材がいることに驚く。ここで紹介される人は、やはりウエルぱぱすが見立てるだけあって、なかなかこだわりの人が登場してくる。その中にはなんと、われわれ自由すぽーつ研究所の岡崎研究員も紹介されている。これは驚きである。いやむしろ当然といえよう。「東海異人伝」で、彼が出てこないというのは、取材者がもぐりということになる。以下彼を筆頭におもしろかった面々を紹介してみよう。

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1998年12月(第9号)
 岡崎 勝
「教師って「芸人」と同じサービス業なんですよ」。といってのける岡崎研究員は、教師として現場で活躍しつつ教育マガジン「おは」編集人を勤めたり、「ラクダ」書店などのカルチャーイベントに参加し、そこでミニコンサート行ったりしているマルチな人物である。彼はまた「アスク」という日教組とは違った独立教員組合のブレーンとなったり、さらに地元での愛知万博アクセス道路建設に反対する住民運動の中心人物でもある。また「おもしろ学校ごっこ」などのグループ活動にも取り組む超多忙人である。
 岡崎研究員は教育の現場にあっては「自称問題教師」と言ってはばからないが、子供や親からは絶大な信頼を得ている職人的教師でもある。今回、ウエルぱぱすではめでたく、というか当然ながら「東海異人伝」に登場することとなった。
 なおウエルぱぱすでは前号において、岡崎研究員に関する「今時の子供と親の話」という記事で、「子育てパパは愉快な先生、教室の子供たちから家族が見える」と題した講演会が載せられた。彼に関するマルチな活動は、彼のホームページにさらに詳しく述べられているのでぜひともそこに訪れていただきたい。